三日月少年漂流記

長野まゆみを読んだのは初めてです。
サークルの後輩で約2名、この人の作品が好きだというのがいて、その一人に借りました。


なんだか、宮沢賢治を読んでいるような感覚。
あるいはサン=テグジュペリと言ったところでしょうか。
耽美的というか、美学的に美しいという印象でした。
読んだことはないけれど、渋沢龍彦もきっとこんな感じなのでしょう。


やや倒錯的ですが、美学でいうところの美しいという概念は、一般的にいう美しいという概念とは既に違っているように思います。
すなわち、美学は美の追求の果てにもはや独自の美に凝り固まっているというか。
や、もちろん僕は美学をきちんと学んだことはないので偏見に満ち満ちているわけですが。


美学に限らず、映画論や文学評論を含めてあらゆる表象文化論は常に感覚を武器として感覚と戦わねばなりません。
そこにあるのは本質的な矛盾。
それをつきつめていくと、結局のところ自動化された感覚を求めていかざるを得ないのかという気がします。
それすなわち、象徴です。


美学の方面では、人形ですか?


いずれにせよ、僕にはわかりません。
わかりませんでした。