構造主義的自分

構造主義について。
今学期、本格的に構造主義を学びました。
文化人類学を学ぶ私には必須のパラダイムです。
その名も文化人類学基礎演習のゼミで一学期間ハードにやりました。
いや、まだ明日に最後の一回が残ってるんですけどね。
ソシュールヤコブソン、レヴィ=ストロースアルチュセール、バルト、フーコーなどなど。
原書ではないですが日本語訳で主著を読み込みました。
それ以外にも親族論もみっちりやりましたし、神話学でも構造分析を行いました。
経済人類学でもその議論が出てきたり。
もちろん自分でも橋爪大三郎『はじめての構造主義』を読んだり、小松和彦『憑霊信仰論』でその使われ方を見てみたりしました。

たぶん、おおむねその概要はつかめたと思います。
要するに、構造です。
変換に耐えうる静的な構造。
ゆえに一般化が可能で多彩な議論ができるのです。
それを提示することで得られる満足度は他に類を見ません。
あたかも完璧な分析が完了したかのように考えてしまいます。
ある一定レベルまでそれは真実でしょう。
動的なものを静的な構造のうちに捉えきったのならそれは分析者の勝利です。
もちろん漏れた点があれば分析者の負け。
実にやりがいのあることではないでしょうか。
一度構造主義を学べば、どこでも構造分析をやりたくなります。

ええ、私も例に漏れず。
今学期の試験ではいろんなところで手製の構造分析を披露しました。
西洋古典学、地中海地域文化論など。
吉と出るか凶と出るかはまだ分かりませんけどね。
試験以外にも自分で何かを考えるときにそういう構造的モデルを考えてみることが多くなりました。
実に爽快です。
構造分析万歳。構造主義万歳。

しかし、いつまでも構造主義ばかりにとどまってもいられないので来学期にはポスト構造主義に進みたいと思います。
幸いにも構造主義の問題点はつかめているつもりですし。

が、ポスト構造主義を学んでも構造主義を捨てることはない気がします。
これはなかなかに楽しく、しかも説得力もある方法論ですから。
構造主義にはまっている今でも構造主義以前のパラダイムである構造機能主義の代表著であるモースの『贈与論』を信奉していることからも、それは暗示されます。

半年後の自分の立場が楽しみです。

最初は構造主義についての具体的な解説を書こうかと思ったんですが、私には荷が勝ちすぎるのでやめておきました。
構造主義をさらっと知りたい方は前述の『はじめての構造主義』を。
がっちり知りたい方は文化人類学を専攻してください。
楽しいですよ。


はじめての構造主義 (講談社現代新書)

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憑霊信仰論 妖怪研究への試み (講談社学術文庫)

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