ひとごろし

人は人を殺してはいけません。(提起)
どうしてですか?(自問)
わかりません。(自答)
ではあなたは人を殺しますか?(自問)
いいえ。(自答)
どうしてですか?(自問)
いやだからです。(自答)
何がいやなのですか?(自問)
人を殺すこと。(自答)
どうしてですか?(自問)
誰かが悲しむから。(自答)
では質問1です。誰かが悲しむことがあなたに何の関係がありますか?そして質問2です。誰も悲しむことのない人なら殺してもいいのですか?(自問)
回答1です。人の悲しみを見ると私も悲しくなります。回答2です。いけません。(自答)
回答1に対する質疑です。どうして人の悲しみがあなたの悲しみにつながるのですか?回答2に対する質疑です。どうしてですか?(自問)
回答1に対する質疑に対する応答です。それは自動的です。現在の私はそういう風にできています。回答2に対する質疑に対する応答です。間接的に悲しみを想起するからです。(自答)
両質問とも解決しました。しかしそれはあなたの理由ですね?(自問)
はい。初めにそう言いました。(自答)
では、それはあなたが殺さない理由であって、人に殺しを禁じる理由ではありませんね?(自問)
その通りです。その意図はありません。そもそも禁じられる立場にありません。(自答)
では、その立場にあれば禁じ得ますか?(自問)
正当な理由があれば禁じ得ます。(自答)
では、法律で殺人を禁じるのは正当ですか?(自問)
理論的には正当ですが、間接民主主義の性質上、実質正当ではありません。(自答)
では法律は不当ですか?(自問)
先に述べた通り、理論的に正当です。(自答)
では法律は正当ですか?(自問)
先に述べた通り、実質正当ではありません。(自答)
では現状では本来正当ではない状態なのですね?(自問)
その通りです。(自答)
ではどうして正当ではない法律に従うのですか?(自問)
論点がずれましたが、その質問に答えるのなら、執行機関が私より強いからです。(自答)
逆らっても敵わないから逆らわないのですね?(自問)
私に対して、殺人に関しての質問ならば、逆らう必要がないから逆らいません。私に対して、一般に関しての質問ならば、その通りです。一般の人々に対しての質問ならば、私の知るところではありませんが、大方そうでしょう。(自答)
わかりました。論点を戻します。どうして法律で殺人が禁止されているのですか?(自問)
相互不干渉による自己防衛が道徳化しているからです。(自答)
先に論じたところによると、正当性のないそのような道徳的法律に従う義務はありますか?(自問)
ありません。しかし、先に論じたとおり、逆らっても敵わないので逆らわない人がほとんどです。(自答)
では残りの人は?(自問)
殺人事件を犯す可能性がありますし、だから殺人事件というのは現実に存在します。(自答)
では、殺人は正当ですか?(自問)
私個人の意見は先に述べたとおりです。一般論は私の知るところではありませんし、他の人の個々の意見については私に関知できませんし、関知すべきではありません。(自答)
では、人によっては殺人を正当としえますか?(自問)
はい。(自答)
それは許されますか?(自問)
私は許しませんし、社会的にも許されていません。しかし個々の価値判断においては許す許さないの問題ではありません。他人が許すとか許さないとか言っても本質的に無意味です。(自答)

納得。(終了)

参考:『クビシメロマンチスト西尾維新